これからの「正義」の話をしよう (マイケル・サンデル著、早川書房)
ハーバード大学で超人気の講義をもとにした本である。サンデルの講義の模様はNHKテレビで放映されたので、ご覧になった方も多いことだろう。
第1章で、一部の人を犠牲にして多数の人の命を救う例をいくつか挙げている。難破船で一人を殺して多数が生き延びることは正義だろうか、時限爆弾を仕掛けた犯人に拷問をすることは道徳的といえるだろうか、など、いずれも判断に迷う事例である。
まず、「最大多数の最大幸福」と唱えたジェレミー・ベンサム(1748~1832イギリス)を紹介している。ベンサムは、一部の人の快楽を削ることによって他の多くの人の快楽を増加させられるならば、コミュニティ全体の効用を増大させることになり、それは正義であるとした。このベンサムの功利主義の考え方は、累進課税、社会福祉など今日の社会制度に多く見ることができる。しかし、人間の尊厳、個人の自由が無視されているとの批判が多い。
ベンサムの信奉者であったジョン・スチュアート・ミル(1806~1873イギリス)は、功利主義を補強した。人間の尊厳、個人の自由は尊重されるべきことであるとし、それが長期的には効用を拡大させるからだと付け加えた。また、ベンサムは快楽に差はないとしていたが、ミルは快楽には優劣があると考え「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよいと述べている。あの東大総長の「太った豚になるよりやせたソクラテスになれ」といった訓話の元となった記述である。本書では、プロレス中継とシェークスピアとどちらを選ぶかというアンケートを紹介している。ミルの論によれば、プロレス中継を我慢しシェークスピアを鑑賞するのは自己の成長をもたらすからであり、そこには差があるとなる。
アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズ(1921~2002)は、原爆投下を批判したことで知られているが、「正義論」を著し、平等主義、機会均等を唱えた。自由競争市場において生じるある程度の格差は人々によって容認されるが、最貧の人々は救われるべきと論じている。これに基づいて、アメリカでは階級や家庭環境を問わず、誰もが同じ地点からスタートできるような 施策が多く講じられた。
しかし、現代のアメリカ経済に大きな影響を与えた経済学者ミルトン・フリードマンは、もって生まれた資質によって多くの富を得ることは当然であり、格差はむしろ社会を活性化すると主張。フリードマンは共和党のレーガン政権のブレーンとして市場原理主義政策を展開、レーガンは富裕層から富が滴り落ちる(トリクルダウン)と説明した。続くブッシュ政権も富裕層優遇策を講じたため、ますます格差が広がった。(参照:2009.2.20「資本主義はなぜ自壊したか」)いま、共和党から政権を奪取した民主党のオバマは、富の再配分に重きを置く政策に転じている。
本書は、モハメッド・アリやビル・ゲイツなど実に多くの事例がちりばめられていて、読者をあきさせない。だが、読了して、正義がすっきり分かるわけではない。色々な考え方の正義があるのだと分かる。そして、それが現代の社会制度に様々な影響を及ぼしている姿に気がつかされる。