無印ニッポン (堤清二・三浦展著、中公新書)
堤清二と三浦展との対談を本にしたものである。
堤は言わずと知れたセゾングループの総帥であった人である。そして、辻井享というペンネームで多くの文芸作品を発表している。三浦は「下流社会」(光文社)を著し、社会評論家として注目された。
三浦は、セゾングループの一員であったことがあり、二人はリズムが合うのか、次々と話が展開する。少々話が飛ぶきらいがあるが、戦後のアメリカ文化から現代の文化・政治まで、次々と話題が進む。必ずしも理論的ではないが、二人は鋭い洞察力のある評論者であるとともに、表現能力にもそれぞれ独自のものを持っている。
一言で言うと、この対談の主題は、「20世紀の画一的な大量消費の時代は完全に終わり、個性を重んじる多様性の時代へと本格的に移行した」ということに集約される。
すでに、満ち足りた時代になっているにも関わらず、飢えた時代の記憶によって、一点豪華なブランドモノを買いあさる癖もいよいよ終わり、ブランドショップの売上が下がり始めた。そして、「ファストファッション」と言われるユニクロなど実質的な質が認められるようになってきたことを指摘している。
満ち足りているにもかかわらず、値下げ競争が止まらない。特徴のない生活必需品は、必要以上に買われることはない。やむなく値下げをして他店以上に売上を上げようとする。もういまや、デフレスパイラルである。これは、生活必需品が必要な分しか買われなくなっていることを見誤っているからだ。
日本の近代流通の原点のように思われている林周二氏の「流通革命」(1962年、卸無用論の書として話題になった)について「この流通革命論を突き詰めると、一番合理的な消費は国民全員が制服を着ることになる」と堤は発言している。当時の流通業界は合理的にならなければならないと言う意識が強かったからであろうが、林の記述は今日の現実とはかなり違うものになってしまった。近年になって林周二の「流通革命」に対する風当たりがますます強くなっているが、堤の発言で定まったように思える。
価値観の多様性は、20世紀末期にすでに指摘されていることだが、それが実際に深く広く浸透し、まだ残滓が残っている供給側の画一性とのギャップが、今日の不況をもたらしているように見える。
その他、生活文化、都市論など、話題が広がっている。いまもっとも興味深く読める一冊である。