よき経営者の姿 (伊丹敬之著、日本経済新聞出版社)
長年、経営者をやってきた者としては、このタイトルのようなことを学者先生に言われたくはない。しかも、第一章のテーマが“顔つき”とは、大きなお世話である。しかし、著者自身があとがきで「この畏れ多い本」と書いているのを見て、一見の価値はあるのかと落ち着いて、読み始めてみた。
松下幸之助、本田宗一郎など名経営者といわれる人たちの特性をとらえて、いい経営者の要件としただけでは、説得力はない。本書では、まず宮大工の名棟梁西岡常一の著作を取り上げて、大工棟梁の組織の運営の心得、さらに身の処し方などを紹介している。企業経営との共通性を解説し、組織の長のあるべき普遍的資質を導き出しているのは、説得力があった。
これはおもしろいと思ったのは、「性弱説」であった。人間観として性善説と性悪説があるわけだが、経営者にとっては「性弱説」と言う見方もあるとしている。多くの経営者はできる人であり、部下がそれについて来られないとイライラするものである。それほど仕事をしない人もいるという前提で、適材適所を図るということは常日頃やっていることであるから、「性弱説」はよく分かる。しかし、部下には聞かせられないことである。
「社長に聞かせたい」とサラリーマンが思うようなことは、第3章第3節の「経営者に向かない人」に書かれている。(1)私心が強い(2)人の心の襞(ひだ)がわからない(3)情緒的にものを考える(4)責任を回避する(5)細かいことにでしゃばる、などがそれだ。逆説的な説明は正鵠を貫くものである。
時には悪(アク)をなさなければならないこともあると書いてくれたことは、経営者にとっては、心強い表現である。大きな目的のために、何らかの整理をするときには、犠牲が伴うことは必ずあることである。
そして、経営者としての重要な資質は責任感と論じている。「社会に存在を許されている」会社であれば、その責任を強く感じている人でなければ、代表を務めてもらうわけには行かない。日本の伝統的おみこし経営では、サラリーマンから階段を登り順番に社長になった人物は、「すべてが自分の責任であり、自分が社会にさらされている」という意識が薄い。それを称して、本書では「社長ごっこ」と指摘している。
近頃、脆弱な経営者が多いことをトップマネジメントの危機として憂い、著者がまさに使命感を持って本書を著したことは評価したい。タイトルに抵抗感があるかもしれないが、世の経営者は本書に一度は目を通して、考えを整理した方がいいだろう。