ロシア敗れたり (鈴木 壮一著、毎日ワンズ)
本書は、ウクライナのことではなく、日露戦争(1904年)について記述している本である。
日本は、日清戦争(1894年)に勝ち、朝鮮を中国から独立させ、台湾と遼東半島を領有することにしていたところ、ロシアとフランス、ドイツよる三国干渉(1895年)の圧力で、日本はやむなく遼東半島から手を引くこととした。そこにロシアが進出してきて、租借地とした。そして、遼東半島の先端の旅順に軍港を設け、ロシア海軍を常駐させるようになった。
ロシアは、アジアに野心を見せ南下政策を進め、日本はそれを阻止しようと満州で戦闘が始まる。さらに、ロマノフ王朝のニコライ二世は、はるか北欧にいるバルチック艦隊を日本に向けて出航させる。
それを知った日本は旅順港に立てこもっているロシア艦隊をバルチック艦隊到着前に攻撃することを計画する。旅順港は深い入り江になっていて海から攻めることは困難なため、海軍は陸軍に旅順港を取り囲む山を占拠して山の上から砲撃することを要請する。ところが周辺の山は強固な要塞となっていて、攻撃は困難を極め、日本陸軍は多くの死傷者を出してしまう。周辺高地への攻撃は苛烈を極めた戦いであったことは有名である。この大将が乃木希典だった。
多くの犠牲を出したが旅順港のロシア艦隊を全滅することに成功した後、バルチック艦隊がやってきて日本海海戦となる。これも、東郷平八郎率いる日本海軍が大勝利をおさめバルチック艦隊はほぼ全滅する。この大勝利は、世界を驚かせた。
この日露戦争について司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描き、ベストセラになった。多くに中高年は感激をもって読んだものと思う。しかし、著者鈴木壮一は司馬遼太郎には多くの間違いがあると指摘している。特に、司馬は乃木希典を無能のように書いていることを批判している。かなり強い批判で、司馬には学識がないとまで言っている。司馬ファンとしては、そこまで言わないで欲しいと思う。
しかし、本書は克明に調べて書き起こされていて、一読に値するのは確かである。
司馬の短編「殉死」を読み、乃木が明治天皇崩御の際に天皇の後を追って殉死したと思っていた。しかし、本書で、天皇に殉じてというより、多くの将兵を死なせてしまったことに責任を感じ、天皇に自刃すると述べた際に、天皇が押しとどめ「朕が死して後にせよ」と言ったため、明治天皇の葬儀の弔砲とともに夫人を伴って自刃したということを知った。
特に、最終章で第二次大戦終戦(1945年)後に、ソ連が不法に北方四島に侵攻してきたときに、日本軍の奮戦について、本書で初めて知り、新しい知識を得ることができた。
いずれにしても、この当時の歴史は日本人としては忘れてはならない歴史である。