天地明察(上・下巻) (冲方 丁著、KADOKAWA/角川文庫)
江戸時代にあったという数学神社について、ネットで調べていたらこの本に出合った。
数学神社とは、数学を研究していた人たちが自分の研究成果を絵馬にして掲げていた神社である。東京で行きやすいのは、渋谷駅近くの金王八幡宮である。
本書はその金王八幡宮の場面から始まる。江戸城に上がって囲碁のお相手をする家に生まれた安井算哲またの名は渋川春海が、算額絵馬を眺めていると、難問を提示している算額に軒並み回答を書き入れている人物の名前が気になった。その名は関孝和。日本独自の数学・和算を集大成させた人物である。
春海は江戸城に上がって、老中の酒井忠清の囲碁の相手をしているうちに見込まれて、日本列島の地球上の正確な位置を観測する北極出地という観測部隊の一員に任命される。九州から東北まで各地で観測するうちに、月蝕に遭遇するが、それが2日間ずれていることを知る。古くから使われている「宣明暦」が八百年を経て、ずれていたのである。つまり、「宣明暦」はもう古く、暦を改定する必要があるのである。
北極出地から帰って来た春海は、藩主保科正之と碁を打つために会津藩邸に招かれ、暦の改定を命じられる。さらに、水戸の徳川光国(圀の字は晩年に使われたとして、本書では国の字を用いている)からも招かれ、暦改定の大きな期待を寄せられる。碁打ちという立場でなければ会うことができない殿様たちである。
春海は、最も優れていると言われている中国の「授時暦」を基に改定を進める。双方の暦が予測する蝕で、「授時暦」の正しさを証明しようとしたのだが、「授時暦」の予測も外れ春海は大きな挫折を味わう。
最初に名前が出ていた関孝和は、下巻の後半でようやく登場し、春海に協力してくれる。関のヒントで地球の公転が真円ではなく楕円であることと、「授時暦」が作られた中国と日本との経度の違いを勘案して独自の「大和暦」を策定する。
本書に、軍学者の山鹿素行も登場する。赤穂浪士の討入りの時に、大石内蔵助が山鹿流の陣太鼓を打っていたということしか知らなかったのだが、本書で山鹿素行とはどんな人物なのかが分かった。この他にも、江戸時代の学問がどのようなものであるかを知ることができ、かなり勉強になった。
春海は、最後に詰めの手を展開する。京の街中に巨大な天体観測器を据え付け、連日観測をして見せて大衆を味方につけ、改暦に反対するであろう神道家、朱子学者、僧、陰陽師などの協力をとりつけるために、新しい暦の販売の利益を悟らせるなど、あらゆる手を打つ。数学おたくのようだった春海が、最後の最後で碁打ちならではの才能を発揮するのである。
そして、貞享(じょうきょう)元年に帝(みかど)の詔(みことのり)が発布され、「大和暦」は「貞享暦」として施行されることになった。