人類はなぜ〈神〉を生み出したのか? (レザー・アスラン著、文藝春秋刊)
人類は、太古の昔から埋葬を行っていたことが確認されているが、霊魂が抜けてしまった遺体を大切にしようという行為は、霊魂の存在を意識しているに他ならない。霊魂の存在が信じられ、多くの神々が作られた。つまり、多神教である。宗教とは、一人の人間が信じているだけでは宗教ではなく、社会で広く信じられて初めて宗教となる。そして、多くの民族がそれぞれの宗教を持つようになり、民族間の抗争が始まると、それぞれの民族の神をより強く見せるため、より上に立つ一人の神を作り出し、さらにそれが一神教になっていく。と・・・以上が私の読後のまとめである。多少私的な思い込みもあるが、本書の大筋である。
著者のアスランは、アメリカではテレビでコメンテーターを務めるなど有名な学者である。イランからアメリカに渡ってきた両親の元で育った著者は、当初はイスラム教徒だったが、学校に行くようになってキリスト教に改宗。しかし、キリスト教の聖書に疑問を感じ、イスラム教に回帰した。アスランは人類学や考古学に詳しい宗教学者で、多くの著作がある。近著の「イエス・キリストは実在したか」は映画化されるそうである。
人類が初めて文字を持つようになったのは紀元前4千年ごろである。それ以降、多くの伝承が文字となって記録されるようになった。
多くの地域、民族によって、共通して記録されているのは大洪水である。約1万1千年前の最後の氷河期が終わるころに大規模な洪水が起こっていることが、考古学の調査で確認されている。その人類の古い記憶が語り継がれ、文字が用いられるようになって記録されたものと考えられる。シュメールの記録では、アトラ・ハシースという主人公が神の啓示を受けて船を作り洪水の中で生き延びるとなっている。旧約聖書でも、ほぼ同じ物語が記録されている。主人公の名はノアで、ノアの方舟として有名である。
洪水の後、約7千年を隔てて口伝が文字になったのであるから、記憶違いや創作などがあるものと思われる。旧約聖書には、アダムとイブの物語などの「創世記」、モーゼの十戒で有名な「出エジプト記」、などの古代の伝承の記録で構成されているが、重複や矛盾が見られると著者は指摘している。旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の経典になっている。いずれも一神教であるが、どのような経緯を経ているかが分かりやすい。
最終章は、世界のすべて、森羅万象が神であり、自分はその一部であるという境地に至ったというアスランの信仰告白が記されている。多神教でもなく一神教でもなく汎神論である。汎神論は争いの源になることがない。アメリカでは教条主義的なキリスト教徒が強い発言権を持っているが、アスランのような人がアメリカのテレビに出演していて人気があるということは、望ましいことと思える。