線は、僕を描く (砥上裕將著、講談社)
水墨画の世界を描いた物語である。今年の本屋大賞の最有力候補だということである。
水墨画は独特の精神性を持っている。文人画と言われ、すでに一流のモノを持った文人がたしなむ絵画でもある。古くは、雪舟、与謝蕪村、長谷川等伯、池大雅、富岡鉄斎、近代では小室翠雲などがいるが、雪舟は中国に渡り修行をした高僧、与謝蕪村は詩人でもある。
私事で申し訳ないが、帝室技芸員の小室翠雲が私の祖父の家にしばらく滞在していたことがある。そのため、私は大変多くの作品を観ていて、人一倍水墨画に関心を持っている。(帝室技芸員=今でいう芸術院会員。小室翠雲は明治から昭和まで活躍した絵師)
水墨画は和紙に墨で描くのであるから、やり直しがきかない。油絵であれば輪郭を描き、色を塗り、陰影をつける。うまく行かなければ、絵の具を重ねて修正することができる。水墨画は輪郭も陰影も一筆で書き上げるという一発勝負の芸術である。墨のすり方、筆に墨と水の含ませ方、筆の運びのスピードなどなど、描き方によって千差万別の線を引けるのだが、そのためには、相当な修練が必要なのである。墨絵の手本帖として「芥子園画伝」が有名で、花卉、山、河、滝などの描き方の手本が載っていて、墨絵を志す人はこれを参考にして練習を重ねるのである。練習は「四君子(蘭・竹・菊・梅のこと)」のうち蘭の葉を描くことから始める。修練の結果、蘭の葉を一筆で描き、それらしく見せるのは一種の芸である。
さて、前置きが長くなってしまったが、物語は主人公の大学生・青山霜介が展覧会の会場作りのアルバイトで老人に出会うことから始まる。展示されている水墨画の中で印象的なバラを描いた作品について感じたことを述べる。「黒一色で描かれているのに真っ赤な色が見える」と言ったところ、「何を感じるか」と問われ「美しい女性を感じる」と答える。
感覚の鋭い人は、絵を見て、その作者がどのような人物かをある程度感じることができる。読者の皆さんも、池大雅や富岡鉄斎の作品をご覧になるとどのような人格の人が描いたかを感じることができるだろう。水墨画は最も作者の人格が現れる芸術である。
実は、その出会った老人は水墨画の巨匠・篠田湖山で、青山霜介は弟子になるように誘われる。また、印象に残ったバラを描いたのは美しい孫娘の千瑛という設定で物語が進む。結末は、感動的な場面があり、それなりに楽しく読める。
専門用語がたくさん出てくるので、調べてみたら、作者の砥上裕將も水墨画の絵師でありながら小説も書いているという人であった。水墨画の側からいうと、まさに文人画の作家ということになる。どちらが本業でどちらが余芸なのか、分からないが、小説としては、終盤の部分で少々残念なところがあるように思える。水墨画が本業なのであれば、氏の水墨画を拝見したいものである。