日本国紀 (百田尚樹著、幻冬舎)
本書は安倍総理が休暇中に読む本として紹介された。そのためかベストセラーになっている。百田は、「永遠の0」、「海賊とよばれた男」などを著した人気の作家であるが、本書は縄文時代から現代まで、まとめて読むことができる日本の通史である。日本の歴史を改めて見直してみたいという方には、読み応えのある本である。
南北朝時代と応仁の乱についてすっきりとまとめられていて、分かり易い。日本史に興味を持っている人の多くは司馬遼太郎の愛読者であろうと思うが、実は、司馬遼太郎には南北朝と応仁の乱についての著作がないのである。したがって、この時代について疎い人が多いようだ。かく言う私も司馬遼太郎史観に染まっている一人であるが、鎌倉時代から室町時代を経ていかにして戦国時代に至るのかをこの本で整理することができた。
なぜ、司馬遼太郎は南北朝時代と応仁の乱を書かなかったかというと、誰が“正”で誰が“邪”かが判然としないこと、南北のどちらにつくかの理由も説明がつかないことが多いからだということである。もし書くのならば、晩年に書きたいと述べていた。しかし、1996年に司馬遼太郎は急逝してしまった。
さて、本書の半ば以降は、幕末から平成までの記述で占められている。この近代史の部分に百田ならではの史観が多く込められている。
本書の終盤の部分で、終戦後の占領軍によるWGIP(War Guilt Information Program)についての記述がある。WGIPとは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」であるが、これによって現代の日本に自虐的な歴史観が浸透してしまっていると論じられている。
本書では太平洋戦争を大東亜戦争と記されているが、大東亜戦争という言葉はWGIPによって禁止されていた。また、大東亜共栄圏や八紘一宇などの言葉も封じられていた。これらの言葉を使って日本の正当性を少しでも論じると、現代の大手新聞が強く反論するが、これはまさにWGIPによる洗脳の影響であると記述されている。また、百田は自他ともに許す愛国者であるが、愛国も右翼的な思想だと受け止められることが多いのも、WGIPの影響なのであろう。
いま、この本はネットの中で炎上気味であるが、議論を呼んでいるのは、まさにこのWGIPについてである。本書のこの部分は面倒な議論であると思う人と現代日本を理解する穿った見方であると評価する人とに分かれるところであるが、全体を評価するならば、やはり一読する価値がある一冊である。