バブル (永野健二著、新潮社)
近ごろ、バブル論議が盛んである。アベノミクスによる異次元の金融緩和によって、市中は金余りの状態になっているため、またもバブルが生じるのではないかと論じられているからかもしれない。
1985年から1990年ごろまで、日本経済は異常な状態であった。すでに日本の円は国際的な信用を獲得し始めていた中で、1985年9月のプラザ合意で円は1ドル=242円から急速に高くなり、1年後には150円台となった。高くなった円で日本の保険会社がゴッホの絵を53億円で購入、不動産会社はニューヨークの有名ビルを買収するなど、派手な動きが話題になっていた。
著者は、バブルの萌芽は三光汽船によるジャパンラインの買収事件(1971年)の頃から始まったと第一章「胎動」で記している。日本郵船や商船三井などのいわゆる主流ではない三光汽船が買収を始めることは、当時の政府当局としては見逃せない事態であった。この問題を日本興業銀行(興銀)に収めさせようとしたところ、興銀は、裏社会の実力者・児玉誉士夫に依頼し、事態の収拾を図るという、今では考えられないことが行われたようだ。
確かに、バブルのうさん臭さは、この辺りから始まっているのだろう。
バブルとは、金融世界の金余りによる土地と株の高騰を初めとする様々な社会現象であるが、著者は、その裏で大蔵省と通産省による戦後復興体制が崩壊したことに着目している。バブルの過程で、日本長期信用銀行(長銀)や興銀と言う政府系の金融機関が崩れ去って行くわけだが、これは日本政府の体制の崩壊でもあり、その後の「失われた20年」と言われる停滞を合わせて見て、著者は“あれはまさに「第二の敗戦」である”と表現している。
やはり、本格的にバブルが始まったのは1985年のプラザ合意による円高と金融緩和である。過剰流動性は土地と株に流れ、高騰が始まった。この動きで、とりあえず金融業界が沸き上がるのだが、一般企業も「財テク」と言われる手持ち資金の運用をするのが当たり前になり、中には手持ち資金だけでなく借入をしてまで金融商品を購入する企業もあった。「財テク」をしない会社は遅れているかのように言われる中、損失補てん事件が起こった。運用で損が出ても証券会社が損失を補てんするという暗黙の約束をするわけだが、これが露見した騒ぎである。これも、大口取引先に対する優遇制度が未整備だから、起こったことだと指摘する学者がいた。
すっかり前のめりになっていた銀行や証券会社は、危ない話にも投資をするようになり、不良債権化してしまうことも増えてきた。料亭の女将へ、最も堅実なはずの政府系金融機関の興銀が多額の出資をしたという「尾上縫事件」といわれる事件も起こった。これが興銀にとどめを刺すことになった。バブル末期に起こった事件である 。
これらの他に、アメリカの投資家ピケンズによる小糸製作所買占め事件、イトマン事件、秀和の小林茂による忠実屋・いなげや買占め事件、EIEグループの高橋治則など、当時次々と起こった事件について、具体的に経緯が記述されている。
バブルの歴史を知るには、うってつけの本である。