天才 (石原慎太郎著、幻冬舎)
この本の出版以来、ちょっとした田中角栄ブームが起こっている。
この本が出版されてすぐに、あるテレビ局の社長と会食する機会があり、その社長が「石原慎太郎がこのような本を書くのは許せない」と言っていた。田中角栄にも石原慎太郎にも会ったことがあるその社長としては、あれだけ田中の金権政治を批判していた石原が手のひらを返すように“天才”だと書くのには、強い違和感があるのだろう。
そんなことがあったため、本屋で横目に見ながら手にしなかったのだが、やはり評判が高まってきたので、読んでみることにした。
「俺はいつか必ず故郷から東京に出て身を立てるつもりでいた」で始まる本書は、一人称で田中が語ると言う形で綴られている。前段は、若い田中がドモリを克服したこと、土建業界に身を投じて現場で働いたことなど、そこで田中が処世術や人間観を身につけて行くことが書かれている。
田中が名を成したのは「列島改造論」で、それを実現させるための多くの法案を成立させている。もうひとつは、日中国交正常化である。1971年ニクソン大統領が突然中国を訪問、いわゆる頭越し外交が行われた翌年に、田中は訪中して周恩来首相と日中共同声明に調印し、国交正常化を実現させた。
1973年の石油危機の後には、田中はエネルギー調達ルートを増やすべく、ソ連を初めとする各国と交渉を始めた。これを見たキッシンジャー国務長官は「デンジャラス・ジャップ」と言ったそうだ。
そして、1976年ロッキード事件が起こる。「これは間違いなく仕掛けられた罠だ」とし、はめられた事件であるという立場で、石原は記述している。
ロッキード事件の記述の後は、二号さんに生ませた子供、それを最後まで許さなかった娘の真紀子、など私的な人間関係を描いている。この辺りは田中自身による私小説のようである。
本書には17頁にわたる「長い後書き」がある。例のテレビ局の社長に言わせれば言い訳かもしれないが、なぜこの本を書くに至ったかが書かれている。政治家としてではなく文学者としての石原を高く評価している大学教授に「貴方は実は田中角栄という人物が好きではないのですか」と問われ、だったら書くべきだと言われたのだそうだ。やはり、田中に“真っ向から弓引いてきた”自分がなぜ田中角栄についての本を書くに至ったか、石原自身も説明せざるを得ない。
田中が亡くなって23年、石原は「これだけの業績を残した政治家はいない」、「田中は間違いなく愛国者だ」と見直したのだろう。石原慎太郎は『文藝春秋』9月号で田中角栄を“角さん”と呼び、ロッキード事件はアメリカの逆鱗に触れたことによって仕掛けられた事件であると、再び述べている。