一〇三歳になってわかったこと (篠田桃紅著、幻冬舎)
篠田桃紅は世界で活躍している人気作家なのだが、日本ではあまり知られていない。彼女の作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やグッゲンハイム美術館など多くの施設に収蔵されている。 もともとは書家であるが、現在の作品は書ではなく、墨による抽象画である。和紙に幅広な大きな筆で濃淡の異なった墨を引き描いている。作品によってはわずかに色を置くこともある。非常にシンプルで心地よい作品である。
私事で申し訳ないが、私の連れ合いが篠田桃紅のファンで何点か作品を所有している。女性にとってはあこがれの存在なのだろう。
本書と読むと映画監督の篠田正浩とは従兄で、三好達治とは時々食事をし、会津八一とは展覧会で会った、北村透谷の未亡人に英語を教わった、な どとある。正岡子規、与謝野晶子、太宰治、芥川龍之介などの名前も出てくるが、身近な人のような書き方である。昭和の東京における文化人の層が非常に厚かったことをうかがわせる。
終戦後20代で単身ニューヨークに渡り、創作活動をしているのだが、ここでも自然体で多くの人とお付き合いをしている。ライシャワー夫人、グッゲンハイム館長、ロックフェラー夫人などとも当然のように交流をしている。こうした人との付き合いが彼女の生きた証になっているのだと思われる。
本書の最初に「私には死生観がありません」と自然体で生きること、最後の方では、立ち位置を見つけ、唯我独尊で周辺の影響を受けずに生きると書かれている。
100歳を超えると、きっと凡人では気が付かないことが見えてくるに違いないと思い、本書を読んでみたのだが、至極当たり前のことが書かれている。曰く、「いつでも面白がる」、「なんでも言っておく、伝えておく」、「ほかと違うことを楽しむ」など、一応なるほどと思う。しかし、一生独身でしかも国際的で長く生きた103歳が書いているということは、もっと深い意味があるのではないか。自分も100歳になったら分かるのかもしれない。
それにしても、本書の題名のネーミングは巧みである。高齢者は思わず手に取ってしまう。