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玉生弘昌(名誉会長)の読書

海賊と呼ばれた男 (百田尚樹著、講談社)

 明治18年(1885年)福岡県に生まれた主人公の国岡鐡造が、若いころから、燃料油に着目し、石油の小売業として身を起こし、今日の大会社「出光興産」を作り上げるという物語である。つまり、この主人公・国岡鐡造は出光佐三のことなのであるのだが、なぜか、この小説では実名を使わずに国岡鐡造としている。

 本書の表題は、国岡が瀬戸内海を航行する船に、小舟を使って燃料油を海上で売って歩いていたころに、海賊のようだと言われていたことから名付けられている。

 出光興産と言えば、家族主義的な経営で有名であるが、本書でも、終戦直後に次々と引き上げてくる社員を一切解雇することがなかったことが語られている。終戦直後、社員の生活を守るために、ラジオの組み立てなどあらゆる仕事に取り組んだ。なかでも、軍の石油タンクの底をさらうという超過酷な作業を、社員たちが率先して引き受けた。これによって、後に石油業界で一目置かれる存在となる。

 本書のクライマックスは、初めてイランから原油を日本に輸送するところである。イランの原油はイギリスにすべて押さえられていて、イランが自由に売ることができなかった。イランはそれに反発し、石油の国有化を強行し、自由に原油を売ろうとしていた。それに応じたイタリアのタンカーがイギリス海軍に拿捕されるという事件が起こったのだが、国岡鐡造も良質なイランの原油を手に入れようとして果敢に行動を起こす。国岡鐡造が向かわせた国岡商店のタンカー日章丸は、イランで石油を積み込み、イギリス海軍の目をくぐり抜け、日本に石油をもたらすことに成功する。

 イランは、この勇気ある国岡鐡造に感謝して、初回の石油代金を無償にしてくれた。しかしながら、アメリカの工作により政権がパーレビ国王に代わるとともに、イランの悲願であったイラン国営石油会社は崩壊する。こうして、イランの原油輸入はうまく行かなくなるのだが、国岡はメジャーの一角と提携に成功し、新たな成長を果たす。

 メジャーや石油業界の組合との確執などを乗り越え成長する痛快な物語であるが、戦前戦後の日本の置かれていた立場や、中東の石油の歴史などが描かれていて、勉強にもなる本である。

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