経済学の犯罪 (佐伯啓思著、講談社現代新書)
経済学は、アダム・スミスに始まり、マルクス、ケインズ、ハイエク、フリードマンと続くのだが、その時代の経済問題を解決するための経済理論で、当面の問題はある程度解決したのだが、それが原因であらたな問題を引き起こしているようにも見える。
重商主義を批判して「国富論」を書いたアダム・スミスは、自由市場は「見えざる手」によって資源の配分がバランスすると唱えた。しかし、自由資本主義経済では、資本家による搾取が起こった。それを批判したマルクスは「資本論」を著し、計画経済を提唱した。それによって、旧ソ連など共産主義国家が出現した。共産主義国は多くの悲劇をもたらしたが、そのことはブレジンスキーの「大いなる失敗」に詳しい。
一方、自由主義経済には景気の変動があり、著しい場合は恐慌をもたらす。ケインズは、1929年に起こった世界大恐慌から脱出するため、米政府による公共事業ニューディール政策の基礎理論を提供し、失業の拡大を防止した。
しかし、シカゴ学派のハイエクやフリードマンは、大恐慌の収束はケインズ理論に基づく政策によるものではなく第二次世界大戦が起こったからだと主張し、ケインズ批判を強め、“ケインズは死んだ”とまで言い始める。シカゴ学派のマネタリスト達は「インフレは貨幣の現象である」として、金融政策によって貨幣量を調整してインフレを収める。フリードマンに至ると、市場原理主義とグローバリズムをレーガン大統領の共和党と進めて、大きな貧富の格差をもたらしてしまう。
本書では、そうした経済学による政策展開が様々な厄災をもたらしたことを指摘している。私(評者)は、マルクス経済学が最も人類に害を与えたと考えるが、本書はマルクスについては、あまり触れていない。主として、近年の市場原理主義、グローバリズムが浸透し、リーマンショックとユーロの危機に至ったことについに論じている。リーマンショックは、明らかにネオリベラリズム(新自由主義)がもたらしたとして、多くのページを費やして、論述している。
私は、かねがね経済学は科学でないと思っていたが、本書でも同様なことが述べられていて、“わが意を得たり”の感がする。ノーベル物理学賞や生物医学賞は、科学的真理は一つであるため、受賞者同士の齟齬はない。ところが、経済学賞はハイエク、フリードマンが受賞し、彼らと対立する現代の経済学者クルーグマンやスティグリッツも受賞している。ということは、経済学とは説の主張であって、真理に迫る科学ではないと考えられるわけである。科学は神が作った自然を探究するのだが、経済学は人が作った社会の問題を解決しようという方法論である。そもそも、人が作った社会は揺らいでいて、真実を含んでいるとは限らない。
経済学は計量経済学、行動経済学などの成果を組み入れ、進歩はしているのは確かである。だが、すべての経済学が多かれ少なかれ副作用をもたらしたと考えられる。佐伯の述べている通り、近年のグローバル化した市場原理主義の経済学は、多くに国々で災厄をもたらしていることは、大いに反省しなければならないことである。
佐伯啓思(1949年~)は、経済学者というよりも思想家である。本書は経済学批判の書で、普通の経済学者では書けない内容である。経済とは何か、経済学とは何かと日頃疑念を持っている方々に、お勧めの一冊である。