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玉生弘昌(名誉会長)のエッセイ

関白秀吉公薬剤

 プラネットの応接室には、ちょっと変わった古文書『関白秀吉公薬剤』がかかっています。

 実は、玉生の家は古い家柄で、多くの古い書画が伝わっています。その中からこの『関白秀吉公薬剤』が面白そうな内容なので、表装をして飾ってみました。

 家訓のようなことが書いてあるのですが、最初は半分ほどしか読めませんでした。しかし、毎日眺めているうちに、全文を読み解くことができました。例えば、“無理”の無はすぐ読めましたが、“無心”の無はなかなか読めませんでした。同じ無の字なのですが、崩し方が違うからです。古文書字典を引くと、いく通りかの崩しが出ています。つまり、書き手は無理と無心を意図して変えているわけです。書き手の技量がかなりなものであることがうかがえます。

 なかなか含蓄のある内容です。「一、主人とは無理なる者と思え」とは秀吉が信長のことを言っているとしたら、さもありなんと合点します。

 しかし、本当に秀吉の家訓なのでしょうか。家康には「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず」と言う有名な家訓がありますが、秀吉が家訓を残したとは 伝わっていません。また、この古文書は江戸時代末期のもので秀吉の時代のものではありません。

 実は、水戸光圀の遺訓に共通する記述が多くあります。これから推察すると、多分、光圀の遺訓を下敷きに、江戸時代の人が創作したものではないかと思われます。

 

 この古文書『関白秀吉公薬剤』は水戸の近くの土浦で所蔵されていたもので、同所には藤田東湖の書も伝わっていますので、水戸学の関係者が創作したものではないかと考えています。江戸時代においては、徳川の敵であった秀吉を評価するような書を表すことは、通常は憚りあることだったのですが、幕末に尊皇攘夷を唱えた水戸学の人達は、比較的自由にものを言っていたようです。国善龍という署名と落款がありますが、この人物が残念ながら特定できません。これがわかると、なぜこのような書が存在するのかがはっきりするでしょう。更に、研究をしてみたいと思います。

 プラネットにお越しの際は、ご高覧ください。

玉生 弘昌

 

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